仏教とジャイナ教は、どちらも古代インドで生まれ、「殺さない」ことを重んじ、輪廻からの解脱を目指します。名前だけ聞くと別々の宗教ですが、なぜこれほど似た要素を持つのでしょうか。この記事を読むと、二つの宗教が共通の土壌から育ったこと、そして似ているからこそ際立つ違いがどこにあるのかを、順に確かめられます。参照するのは公開されている百科事典(Wikipedia英語版)の記述で、断定できない点は「とされています」と書き分けます。

同じ時代、同じ土壌

英語版Wikipediaの「Jainism」によると、ジャイナ教の中心人物マハーヴィーラは、紀元前6世紀か5世紀ごろに活動し、ブッダと同時代の人物と位置づけられています。ブッダの年代は一つに定まっておらず、20世紀前半には紀元前563〜483年ごろとする説が広く使われましたが、近年は没年を紀元前410年ごろとする説などが提案され、1988年のシンポジウムでは多くの発表者が紀元前400年から前後20年以内の年代を示した、と「Gautama Buddha」の項に整理されています。つまり「おおよそ同じ時代」とは言えても、何年差かまでは確定していません。

重要なのは時代だけではなく、土壌です。同項によれば、ジャイナ教は「シュラマナ」と呼ばれる独立した修行者の伝統から育ち、ヴェーダの権威を認めない立場でした。マハーヴィーラはこのシュラマナ運動の中心人物の一人とされ、ジャイナ教徒と仏教徒はブッダの時代から接触し、信者や商人の支持を競い合う関係でもあったと説明されています。

共通する核:不殺生と解脱

共通点の第一は不殺生(アヒンサー)です。ジャイナ教では最高の倫理的義務とされ、行為だけでなく言葉や思考にも及びます。自分が殺さないだけでなく、人に殺させることや殺しに同意することも避けます。

第二は、ジャイナ教の五つの誓い(不殺生・真実・不盗・不淫・無所有)です。在家者は「小さな誓い」、出家者は「大きな誓い」として守るとされています。仏教の在家の五戒にも不殺生や不盗があり、倫理の骨組みが重なって見えるのはこのためです。

第三は、生死のくり返しから抜け出すという目標です。出家して修行に専念する、という生き方の型も共有されています。これらを「宗教が互いに影響した結果」と見るか、「共通の社会・思想環境が似た問いを生んだ結果」と見るかは解釈が分かれ得ます。確実に言えるのは、どちらも同じ修行者の運動の中から出てきた、という点です。

似ているからこそ際立つ違い

違いは、修行の強度と真理の捉え方に現れます。「Gautama Buddha」の項では、仏教の伝承として、ブッダは感覚的な快楽と厳しい苦行のどちらにも偏らない道を説いたとされます。一方、ジャイナ教は厳格な不殺生と無所有を修行者に求め、より徹底した禁欲の側に立ちます。

真理の捉え方にも差があります。「Jainism」の項は、ブッダが形而上学的な問いに「有る」「無い」のどちらか一方で答えることを退けたのに対し、ジャイナ教の文献ではマハーヴィーラが両方の見方を「おそらく」という限定付きで受け入れた、と紹介しています。これが「アネーカーンタヴァーダ(多面的な見方)」と呼ばれる考え方です。同じ「決めつけない」姿勢でも、仏教は問いそのものを脇に置き、ジャイナ教は複数の見方を並べて限定をつける、という違いとして読めます。

開祖の前にも流れがあった

ジャイナ教では第23代のティールタンカラ(祖師)パールシュヴァナータが、伝承では紀元前9世紀、歴史学者の推定では紀元前8〜7世紀の人物とされています。マハーヴィーラは、この先行する修行者の共同体を引き継ぎ、改革した可能性があると説明されています。宗教は一人の天才の発明というより、すでにある流れが人物を得て形になる、と見るほうが実態に近いのかもしれません。

現代へのヒント

現在、ジャイナ教徒は世界で400万〜500万人ほどと推計され、大半がインドにいます。数は多くありませんが、不殺生と無所有という強い倫理を今も保っています。

似た教えが同じ土壌から別々の形になった事実は、価値観の違う相手を見るときの手がかりになります。違いだけを見ると対立に見え、共通の出発点を知ると、何を共有していて、どこから分かれたのかが見えてきます。結論を急がず、まず「どこが同じか」から確かめる。その順番が、異なる考え方と付き合うときの小さな作法になるはずです。

出典

  • Wikipedia「Jainism」https://en.wikipedia.org/wiki/Jainism
  • Wikipedia「Gautama Buddha」https://en.wikipedia.org/wiki/Gautama_Buddha