この記事でわかること
「歴史の年号は覚えたけれど、それが今の社会とどうつながるのか分からない」という悩みを持つ人は少なくありません。この記事では、7世紀の駅伝制から江戸の飛脚、明治の鉄道・郵便・電信までを追いながら、情報とヒトを運ぶ速さの変化が、国家がどこまでを一体として統治できるかを決めてきたという構造を確認します。読み終えるころには、通信インフラの進化が単なる技術史ではなく、権力と経済圏の広さを規定してきた歴史であることが見えてくるはずです。
律令国家が命令を届けるために作った駅伝制
日本で最初に整備された全国規模の情報網は、飛鳥・奈良時代の律令国家が作った「駅伝制」です。701年(大宝元年)に制定された大宝律令のもとで、都と地方を結ぶ幹線道路「五畿七道」に沿って、約30里(約16km)ごとに「駅家(うまや)」が置かれ、駅馬10疋が常備されました(国土交通省「道の歴史:古代の道」、Wikipedia「駅路」)。
駅鈴を持つ官人・駅使がこの駅路を馬で乗り継ぎながら公文書を伝送する仕組みで、緊急連絡用の「駅制」と公務出張用の「伝制」を合わせて「駅伝制」と呼びます。都で決めた命令を地方の国府まで一定の速さで届けられる体制を作ったことで、律令国家は広い範囲を一つの統治システムの下に置くことができました。逆に言えば、この道路網と駅の密度が、当時の朝廷が実効支配できる範囲の限界でもあったわけです。
参勤交代を支えた近世の街道と飛脚
平安時代以降、律令の駅制は次第に形骸化しますが、江戸時代に入ると幕府は五街道や宿場町という形で新たな陸上インフラを整備し直します。この整備を後押しした大きな要因が参勤交代です。1635年(寛永12年)、3代将軍徳川家光のもとで改定された武家諸法度に「大名小名在江戸交替相定也」という条文が加わり、参勤交代が制度として明文化されました(当初は外様大名が対象で、1642年に譜代大名にも拡大しています)。
参勤交代によって全国の大名とその家臣団が定期的に江戸と領国の間を往復するようになったことで、街道と宿場のインフラ需要が一気に高まりました。このインフラの上に発達したのが飛脚です。幕府の公用文書を運ぶ「継飛脚」は江戸から京都までの約500kmを60〜80時間、通常は4〜5日で走破したとされ、民間の「町飛脚(三度飛脚)」も月3回、東海道を往復していました(Japaaan「江戸時代の飛脚」)。公用・商用・私用それぞれの情報を、人力のネットワークが担っていた時代です。
明治維新で一気に置き換わった鉄道・郵便・電信
飛脚を中心とする人力の情報網は、明治の最初の10年ほどで一気に近代インフラへ置き換わります。まず電信は1869年(明治2年)、東京・築地の運上所と横浜裁判所を結ぶ約32kmの電信線架設工事が始まり、同年中に業務を開始したのが日本最初の電信事業でした(中央区観光協会「電信創業之地碑」)。
続いて郵便は1871年(明治4年)、前島密の建議をもとに東京・大阪間で官営の郵便事業が始まりました。前島は制度創設を建議したのち渡英し、帰国後の立ち上げは後任の杉浦譲らに引き継がれています(日本郵政「前島密」)。
そして鉄道は1872年(明治5年)9月12日(新暦10月14日)、新橋・横浜間29kmが本開業しました。所要時間はわずか53分で、同年5月にはすでに品川・横浜間が仮開業していました(国立公文書館「新橋・横浜間の鉄道が開通する」)。江戸時代なら丸1日以上かかった距離を、1時間弱で移動できるようになったわけです。
電信・郵便・鉄道という3つのインフラが、わずか3年の間に立て続けに始まったことは偶然ではありません。明治政府にとって、旧藩の集合体だった日本を単一の国民国家・単一の経済圏として統合するには、情報とヒトを飛脚の何倍もの速さで動かす仕組みが不可欠だったのです。
情報速度が権力と経済圏の広さを決めてきた
こうして見ると、駅伝制・街道飛脚・鉄道郵便電信という3つの段階には共通の構造があります。都・幕府・政府が「どこまでを一体として統治し、一つの経済圏として扱えるか」は、その時点で情報とヒトをどれだけ速く運べるかに規定されてきたということです。駅伝制は都と地方の国府を結ぶ範囲、参勤交代の街道網は全国の大名を定期的に江戸へ集約できる範囲、そして鉄道・郵便・電信は日本全体を数時間から数日単位で結びつける範囲を、それぞれの時代の「国家の届く距離」として作り出しました。
情報が届く速さが遅ければ、地方の統治は現地の裁量に頼らざるを得ず、権力は分散します。逆に情報が速く届けば届くほど、中央は遠隔地の出来事をリアルタイムに近い形で把握し、経済や行政の意思決定を一元化できるようになります。律令国家、江戸幕府、明治政府という3つの体制が、それぞれの時代の最速の通信・輸送手段を国家運営の根幹に据えていたのは、この理屈があったからだと考えられます。
現代への接続
インターネットと物流網が発達した現代は、情報がほぼ瞬時に、モノも国内なら翌日には届く時代です。国家が統治できる範囲という意味では、もはや地理的な距離はほとんど制約になっていません。その代わり、今の情報速度の差は、国家の境界というより、企業や個人の間の競争力の差として現れています。誰がより速く正確な情報を得て動けるかという構図は、駅伝制の時代から変わっていないのかもしれません。